昭和50年2月2日 特別奉修委員
中村良一
宮崎から電話がかかってきておりましたが、ここで修行しています田中さんのお母さんからでした。それが、確か、田中さんのお導きで、ここ十日ほど前に、一晩泊まりでお参りをしてきて、そう言った親子三人連れがありましたが、その人の事です。もう本当にあの、お芝居のような問題で、もうどうにも出来ない。大体あの、何て言うですか。山中不動さんの信心をする人です。もう、お百度踏んだり、色々あの、修行をしておるといって、いつかお話しましたでしょうが。ね。だからそれを、あの、止めなくてもいいよというて、まぁ、とにかく貴方がおかげ頂けばいいからというて、まぁ、お話をした事でしたけれどもね。あの、ご主人との問題です。子供が二人もおるのに三角関係。しかも、あの、姑親のお母さんは、自分の味方と思うて、何もかにもお話をしておったのが、反対に筒抜けになっておって、その主人のお父さん、お母さんまでが、この頃、別らかそうというようなことにも。自分はまぁだ、主人に対する愛情はある。ところがその、それこそ濡れ衣着せられるように、何か稽古においでられよるのに、稽古をしておられる、その男の先生と、関係があるといったような、もうそれこそ、根も葉もないようなことでその、別れようと、別らさせようとするその事の中に、もう、悩んで悩んで、悩んだあげくに、田中さんに話された。それから、あの、電話でお届けがありまして、それで、あの、お取次ぎしてもらって、そういう複雑なことならば、一遍貴方が出てきなさって、お願いなさると良いですよというて。それから直ぐ、あくる日、あの、夜行で見えて、それからあの、おかげを頂きましたんですよ。それで、大変あの、自分が頂いておる信心と、もう根本的に違うもんですから、大変その、感心してね。有難い信心としていただいて帰って、もう、それこそ、おかげの泉を読みふけっておった。そして、そのおかげの泉をね。あの、読んだのをテレビの下にこうやって入れて。ところがそれを、お父さんが読まれた。それからまたお母さんが読まれたらしい。また、当の本人の御主人が読まれたらしい。もう、その中からですね、もう、それこそ、手の平をかやすように、親子、その三人の、それぞれの気持ちが変わってね。もう本当に、自分達の思い違いであったことを、お詫びされるようにしてから、解決のおかげを頂いたというお礼の電話でした。本当に、おかげを頂きましてね。例えば、良いお話を聞いたから、分かったからだけのおかげではなくて、私が、皆さんにも今朝から申しますように、あの、おかげの泉という、あの本は、生きた本だという事ですよね。日田の井口さんですかが、お夢の中に頂かれておるのは、もうそれこそ、あの、御霊様があの本を読んであげて助かっていかれておる。
この頃、桜井先生のところの、遠いご親戚になる方が、もう以前に、まぁ、普通ではない死に方をなさった方があってね。その方がお夢の中に、たぶん、すがって見えたお夢を頂かれた。それから、お取次ぎを頂かれて、その、御霊様にあの、おかげの泉を繰り返し、あの、読んで差し上げられたらね。もう、それこそもう、その周囲の襖やら何やらにもう、おいさみのつき通しだったち言う。もうあの、御霊様も大変喜ばれて、助かる一つの手掛かりが出来たというて、喜ばれたお知らせを受けてね。いうならば、あの、なんて言うですか。それこそ、有難い、有難いあの、お経文を読むのと理屈は同じなんですよね、おかげの泉というのは。ですから、あの、それにやっぱ、触れられなければいけないです。頂かなければいけないです、ね。ですから、御霊様が助かられるくらい、日田の方のそれもそうです。御霊様のお社と、神様のお社とが、同じ箱の中に奉ってある。そこに、おかげの泉をこう入れてあった。それだけで、御霊様がこう、大変の喜びを表されたというお知らせを受けてね。そして昨日その、今朝からもお参りしてきておられました。その事をお届けがありましたが。もう本当に、あの、霊肉共に助かられる。それは、あれが、いうならば、生きた神様の働きであると同時に、神様の、あれがお心なのです。ね。ですから、おかげの泉を、あぁして、皆さんがあげん買って貰ったっちゃ、それだけで、いわば、おかげを頂いておるのですけれども。それと同じ、いわば、いや、本当言うたら、もっと素晴らしいお話を、皆さんは、毎日頂いておられるわけです。私の説くところ、もう、私の説くところ、もう、それを頂いてです。いうならば、チンバが立ち上がったり、メクラが目が開いたりするほどしのおかげが、いただけるほどしの内容を持ってるんです。問題は頂きようです、ね。ですからね、私はその、おかげの泉だけではなくて、日頃頂いておる、私共が、教えを本当に、あの、生きた教えですから、こちらが、生きた心でいただかにゃいけないと。ね。おかげの泉にですら現れておる、そういう奇跡的な、こらまぁ、それをお話しするなら、きりはないですけれども、今、お電話でお取次させて頂いた、その事からです、ね。その、神様のお取次ぎの働きと言うものを、そこに感じます。ね。そんなにもう、もつれにもつれておる、その問題が、ね。おかげの泉を読まれたところから、解決のおかげになっておるというようなね。私共は、足元におる皆さんの場合なんか、もっともっとね、有難くいただく、いうならば、親先生のお話しというそのお話を、もっともっと真剣にね、もう本気で頂いて、しかもそれを、行の上に現し、生活の上に現し、お互いの生活の現場でそれを現していこうというおかげになってこなければ、生きた働きを呼びません。ね。どうでも一つ、おかげを頂いてね。ところが、毎日毎日のお話ですから、皆さんがね。やっぱり、軽く見るわけでもなからなければ、甘くみるわけでもないでしょうけれども、頂くものの心のほうがね。少し、あの、感動が、いうならば薄くなっておるのじゃないかと思います。ね。まぁ、今日、おかげの泉によって、一家の方たちが助かっていかれようとしておるお話を聞いていただいて。めいめいのところで、まぁ、一段とです、お繰り合わせをいただかにゃならない。
佐田さんが、昨日、知り合いの方が白血病で入院しておられる。おかげの泉を持っていって、沢山、それを読まれてね。本当に有難い。生長の家の本も読まれるそうですけれども、おかげの泉の有難さに触れられるようになったら、医者が、たまがるように、血が増えてきたというお届けが先ほどありました。ね。ですから、これなんかは、おかげの泉だけでおかげを受けておるわけです。頂き方が、打ち込んだ頂き方がね、出来なければいけないという事です。どうでも助からなければならんという頂き方が出来なければならんのですよね。どうぞ。